vol.842 脳の活性化方法
2026-05-30
・izunaさんからのお便り⑥
・年を取ると4月も5月も一緒
・干渉とは
・俯瞰とは上空から自分を眺めること
・蟻の視野と動き
・俯瞰のトレーニング
・ラベル貼りのメソッドの真髄
・人は分類生物
・脳の活性化に繋がること
本日の動画の内容
1.観察とは「上から自分を見る」こと
観察とは少し離れた高い位置から俯瞰的に
エゴを眺める姿勢です
エゴを否定するのではなく
まず気づいて見ることが
第一歩とされています
2.蟻の視点と俯瞰の視点
俯瞰を説明するために地面を歩く蟻の例が
用いられます 蟻は目の前の障害物に
ぶつかりながら進むしかありませんが
上空から見れば最適な道筋が簡単に分かります
人間も同様で目先の感情や出来事に
巻き込まれていると判断を誤ります
しかし一段高い視点から自分を眺めれば
より良い選択肢や進むべき方向が
見えてきます
3.守護的な視点に近づく訓練
自分を冷静に見つめる観察の姿勢は
守護霊や守護神が人を見守る視点に
近いものだと説明されます
観察とは日常の中で誰でもが実践できる
最も手軽で本質的な精神的訓練として
語られています
4.ラベルを貼ることでエゴを整理する
「これは怒り」「これは不安」「これはエゴ」
とラベルを貼る行為そのものが
すでに観察意識から生まれていると
説明されます 人間は本来 分類や整理を
好む存在であり 自分の感情や思考を
分類することで客観視しやすくなります
2026年3月27日
izunaさんからのお便り
(本日の動画の内容文・原文)
質問がございます。
●質問1
世界平和のお祈りの具体的な方法について
五井先生の本に、世界平和のお祈りに
業想念を溶け込ますとありますが、
今回教えていただいた、エゴを鑑賞し
エゴの種類にレッテルを張り、
お祈りをするという事に通じていると
理解しました。
今までお祈りは、思いついたらいつでも
どこでも行っておりましたが、
声に出すことはほとんどせずに
心の中で呟いております。
車通勤なので運転中には声に出す事は
ありますが、家で過ごしている時や仕事中、
外を歩いているときなどは心の中で
呟いております。
今まではお祈りをしている時は、
自分の事というより世界や日本の事象や
事柄を映像でイメージしてお祈りを
していましたが、
具体的なお祈りの仕方としては、
この何かをイメージしながら
世界平和のお祈りを唱えるという
イメージの対象を、鑑賞して
レッテル張りした自分のエゴを、
ああこれエゴだなぁこれは消えゆく姿だと
思いながら、世界平和の
4行のお祈りを唱える。
というやり方で良いでしょうか?
また、エゴのレッテルを貼る際には、
自分の良心に聞いて判断する事ですが、
これらの善悪は人間の社会通念、
国や文化、時代、慣習、等々で
変化するので、そこにはとらわれずに、
いずれにしてもエゴであると
レッテル張りし、
宇宙全史で学んできて理解してきた
内容に照らし合わせて自分の良心に
問いかけてエゴの判断する。
肉体身が認識して行っている事の
ほぼすべてがエゴで、思っている事や
実行している事のこれは何のエゴだろう?と
常に考え、エゴのレッテル分類を
常に続けていく。
このようなやりかたでよろしいでしょうか?
認識違いや不足、間違っている点が
あれば教えて下さい。
よろしくお願いします。
はい
おはようございます
今日はね 4月の24日かな?
日曜日ですね
かわかつ)
あ 5月です
あ 5月 そうだ
えー もう4月も5月も一緒だよね
75越えてくるとね
そうなのよ
夏も冬も一緒みたいに・・・
夏と冬はさすがに違うね
初夏と夏はもうほぼ一緒だね
春と初夏が一緒だから
だから 春
つまり春と初夏が一緒
初夏と夏が一緒だったら
春 初夏 夏 一緒だから
春も夏も一緒だよね
その点でいくともう
冬も夏も一緒ってなるけど
それもう馬鹿なこと言ってるから
もういいよね
はい
えー 今日はですね
えー izunaさんの
お便りの続きでして
ま あの
izunaさんからのお便り(原文)
お祈りの仕方としては、この何かをイメージ
しながら世界平和のお祈りを唱えるとい
イメージの対象を、鑑賞してレッテル張りした
自分のエゴを、ああこれエゴだなぁこれは
消えゆく姿だと思いながら、世界平和の4行の
お祈りを唱える。というやり方で良いでしょうか?
世界平和のお祈りを唱えると
唱える
と良いイメージの対象を
「鑑賞」してレッテル貼りをした
自分のエゴを
あ これはエゴだな・・・
ん?そうなのかな?
ちょっと文章が違うね
えー世界平和のお祈りを唱えると
な・・・ちょっと・・・
ま とにかく その
自分の出てきたイメージを
「鑑賞」して 観照して
✕鑑賞→◯観照
観照っていう字も違うね
これ後で直しておいてもらいます
観照ってのは要するに
izunaさんの字は あの
見るっていう漢字ですね
何かを観賞する
絵画を観賞するになってますけども
そうじゃなくって
観照ってのはね
俯瞰するっていう感じが
結構 多い意味の観照です
ちゃんと出てます ここにね
えー あ これはエゴだなと
消えていく姿だなと思いながら
世界平和の4行のお祈りを唱えると
お祈りを唱えるというやり方で
良いでしょうか?
その通りですね
あのレッテルを貼るとか
その観照するっていうのは
あの 本当に俯瞰するという意味が
すごく大きくくて
ずっと言ってますけども
俯瞰するというのは
自分を上空から眺めるという
イメージで一番良いんですよ
あー それがぴったりくると思うね
自分を上空から眺めるということは
要するに 自分よりも高い
段階から
見下ろすっていうか 見下ろして
こう 見てるっていう感じ
よくあるでしょ?その 蟻がこう・・・
地面をこう這ってるときにね
あ あそこ 石があるからこう
迂回して行けば良いのにと思うんだけど
上から見るとね?
あるいは穴があるから
危ないよと思うんだけども
蟻は平面しか見えてませんから
ま ちょっとは見えてんだけど
もちろん3次元が
でも ほぼ平面
レベルの 視野角っていうか
視野ですから
えー もうとにかく
行き当たりばったりでこう いくわけ
いくしかないわけですよ
石にぶち当たったら
もうそれを迂回してこう 行くとか
上から見てるとでも
石にぶち当たって
ちょっと右に行けば抜け道があるなって
石と石の間に抜け道があるなって
見えるんだけども
蟻はそれ分かんないから ぶつかっても
どっちか行くかって
二者択一
50パーセントで
左に行ったら大回りしなきゃいけないとか
あるわけじゃないですか
それが上から見れば あ こっち行けば
もっと楽にいけるなって分かるでしょ?
それが俯瞰なんですよ
だから その俯瞰のトレーニングっていうのは
すごく大事で
自分を上空から眺めるという
冷静に 冷静にだよね
で
観照して見るという形っていうのは もう
自分の守護霊 守護神と
同じ立場まではいかないけども
それに近いような立場に
立ってるということになるわけですよ
つまりね 次元が少し高いところから
自分を眺めることができるということ
それっていうのはね その ドロンドロンとか
何か術を使ったりする
よりもすごい楽で簡単でしょ?
何も決めてなくて良いから
のーまく さんまんだーばー ざらだん
せんだーとか何か真言を唱えたりとか
何か行をやったりとか
何とかの法とかいろいろ
いろいろ皆唱えてんのあるでしょ?
そんなんやんなくて良いんだから
普通に
izunaさんがおっしゃったように
レベル貼る レベル・・・ラベルか
まあ同じだよね ラベルもレベルも
その自分の思ってること
にラベルを貼るという
この行為自体が
観察してないとできないわけですよ
いい?自分は
「あ 今エゴの思いを出しているんだな」
それにラベルを貼ろうという
意識っていうのは
観察意識から出てくるんですよ
一段上の意識から
それがないと蟻と一緒
つまりもう 目先のことしか
見えてないわけ
だからもう エゴにまみれちゃうわけ
で それが一段上から見てると
あ これはエゴだな
じゃあ ラベルを貼ろうということ
別にラベル貼らなくても
良いんですよ?
エゴだなと思えば良いんだけども
それを1つのなんつうか
構造的なアクションにしたい
場合
えー するとですね
えー なんというか
人間っていうのは その わりと
フォルダー化とかファイル化とか
分類が好きなんですよ
その分類していくことによって
自分のエゴを分類できる
そうすると それをより観照しやすく
なるということがあるわけですよ
うん 人間は本当にそうなの
もう本当にね
あの 分類の・・・
分類生物と言って良いよね 人間は
うん そうだって
すごい大事なことだって それは
そうすることによって
脳が活性化されて
えー 脳の働きがすごく
良くなってくるらしいですね
で 余計にその自分のエゴを
観照しやすくなるということです
はい 今日はここまで
あとがき
今回の話は 特別な能力や難解な修行よりも
「自分を少し上から見る」という
単純な行為の大切さを説いています
人は感情の中にいるとき 自分がその感情
そのものであるかのように錯覚します
しかし観照の視点が生まれた瞬間
「怒っている自分」「不安になっている自分」
を見る子在が現れます
その小さな距離こそが自由への入り口です
世界平和の祈りもまた 外の世界を
変えるだけでなく 自分自身を俯瞰するための
静かな訓練として機能して
いるのかもしれません
エゴをフォルダー分けするように
整理することで 感情に飲み込まれにくくなり
より冷静に自分を
理解できるようになるのです
vol.843 エゴが薄くなる感覚